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ビール文化と三田市の歴史、自然、文化、そして豊かな食をテーマにした「三田ビール検定」

三田ビール検定 移住ライフ

先日、三田市立図書館で「三田ビール検定」なる本に出会いました。「日本ビール検定」というのは知っていたのですが、「三田ビール検定」は知らなかったので、調べてみました。

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「三田ビール検定」とは

「三田ビール検定」は、毎年11月3日(文化の日)に三田市が実施している、ビールの歴史や醸造学を学び、三田の歴史・文化・風土、そして豊かな食に親しむためのユニークな検定です。(令和2年度に予定していた「第4回三田ビール検定」は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、中止です。)日本人で初めてビール醸造に取り組んだとされる川本幸民(かわもとこうみん)。その幸民のふるさとである三田市が、その業績と進取の精神に敬意を表し、「三田ビール検定」を実施しています。

<参考>
第3回三田ビール検定(終了しています)の検定料、申込方法、申込期間などの情報はこちら

三田市のホームページから三田ビール検定のオンライン模擬検定に参加すると参加証がもらえます。

三田ビール検定_オンライン模擬検定参加証
オンライン模擬検定参加証

川本幸民(かわもとこうみん)

幕末の蘭学者川本幸民は、文化7(1810)年、三田藩医川本周安の三男として生まれました。蕃書調所で洋書を翻訳し、「化学」という言葉を初めて使用し、「日本近代化学の祖」といわれています。
また、幕末の嘉永6(1853)年頃、日本人で初めてビール醸造実験を成功させたといわれており、その他にもマッチの製作や写真撮影に成功するなどの功績を残しています。その功績を称えるために、三田小学校の校門前には顕彰碑が建てられています。

日本人とビールの出逢い

川本幸民がビール醸造に取り組んだのは 1853(嘉永 6)年頃のことですが、それまでに日本人はビールと出逢っていました。
『和蘭(オランダ)問答』という書物には、日本人が初めて書いたとされるビールに関する記述があります。1724(享保 9)年、長崎・出島のオランダ商館長が江⼾を訪れた際、通訳を務めた今村市兵衛と名村五兵衛が宿舎でビールをふるまわれた様⼦を残しています。「酒はぶどうにて作り申候。また⻨にても作り申候。(中略)名をビイルと申候」また、「右コップ、三人⼀所によせ、ちんちんとならし合せ候」とあるのは、グラスを合わせて乾杯する様⼦を描写したものでしょうか。
この時代から既に「ビイル」という呼び名が使われていたことも分かります。
((出典:キリン歴史ミュージアム

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